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  大阪ガス ガスビル食堂物語


ガスビル物語 2
 
大阪西洋料理事始め

御堂筋ストーリー
 
御堂筋とガスビル
 
大正7年(1918)4月、後に大阪市長となる関一助役を会長とする都市改良計画調査会が、街路計画案を策定しました。その一つが、梅田−難波間約4キロ、幅員24間(約43.6m)の御堂筋でした。
 その後、第一次大戦後の戦後恐慌、昭和恐慌と続く財政難から、御堂筋が実際に梅田より着工されたのは大正15年(1926)10月のことです。全線開通したのは昭和12年(1937)5月、実に11年近い年月がかかりました。また、地域の住民負担は相当なものでした。住宅密集地に道幅を8倍にも拡幅し、さらに南北に延伸したため、長年の生活と営業の場を奪われた大阪市民の犠牲も忘れることはできません。
 当初から「是非トモコレヲ永遠ノ必要」から考えて「大大阪ノ中心街路タルニ恥チサル幅員ト体裁トヲ具備」してと計画された御堂筋は、今も大阪の誇りとする街路です。
 

御堂筋と共に歩むガスビル
 
 
工事中の御堂筋のほぼ中央に、昭和8年(1933)3月「ガスビル」が竣工しました。その2カ月後の5月には梅田−心斎橋間で大阪初の地下鉄が開通しました。ガスビルはまさに大阪のシンボル・ストリート「御堂筋」と共に歩んできたビルなのです。


ガスビル食堂の誕生
 

本格欧風料理が話題を集めたガスビル食堂
(1933年)
 
ガスビル食堂が誕生したのは、昭和8年(1933)です。それから約70年、大阪ガスの迎賓館として、同じ場所、同じスタイルで営業を続けています。
 開業当時、本格欧風料理とともに、ガスビル8階、東南に大きく開かれたガラス窓の展望が人気でした。まだ工事の続く御堂筋の向こうには、昭和6年(1931)に市民の力で再建されたばかりの大阪城がよく見えていました。




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