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御堂筋とガスビル |
大正7年(1918)4月、後に大阪市長となる関一助役を会長とする都市改良計画調査会が、街路計画案を策定しました。その一つが、梅田−難波間約4キロ、幅員24間(約43.6m)の御堂筋でした。
その後、第一次大戦後の戦後恐慌、昭和恐慌と続く財政難から、御堂筋が実際に梅田より着工されたのは大正15年(1926)10月のことです。全線開通したのは昭和12年(1937)5月、実に11年近い年月がかかりました。また、地域の住民負担は相当なものでした。住宅密集地に道幅を8倍にも拡幅し、さらに南北に延伸したため、長年の生活と営業の場を奪われた大阪市民の犠牲も忘れることはできません。
当初から「是非トモコレヲ永遠ノ必要」から考えて「大大阪ノ中心街路タルニ恥チサル幅員ト体裁トヲ具備」してと計画された御堂筋は、今も大阪の誇りとする街路です。 |