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  大阪ガス ガスビル食堂物語


芭蕉終焉後<御堂筋>
ドナルド・キーン(コロンビア大学名誉教授)
ドナルド・キーン(コロンビア大学名誉教授)

若き日のドナルド・キーン氏京都で能と狂言を習い舞台でも演じた。
若き日のドナルド・キーン氏
京都で能と狂言を習い
舞台でも演じた。
(1955年頃)

 もうずいぶん昔のことですが、大阪の適塾で司馬遼太郎さんと対談した後に、二人で御堂筋を歩きました。南御堂の前では、芭蕉翁終焉の地の石碑の傍らに立ち、松尾芭蕉がこの地で生涯を閉じたことやその後の時代の移り変わりについて語りました。

 私が、長年の夢がかなって日本にやって来たのは、昭和二十八(一九五三)年のことです。京都に二年間留学し、近松門左衛門について博士論文を書きましたが、同じ元禄時代に生きた井原西鶴や松尾芭蕉にも、やはり深い関心をもっていました。

だからその後コロンビア大学で日本文学を講義するようになった際には、私は教材として芭蕉の『奥の細道』を用いました。その理由は、芭蕉は私にとって、時代や文化を超えて共感できる非常に近しい人間であるからです。

 
芭蕉は、51歳の人生を終える少し前、元禄七(1694)年9月に大坂を訪れました。
南御堂前、御堂筋の緑地帯に芭蕉翁終焉の地の碑が建つ。
南御堂前、御堂筋の緑地帯に芭蕉
翁終焉の地の碑が建つ。

(ドナルド・キーン氏による芭蕉の句
の英訳)

(1)Along this road
  There are no travellers ―
  Nightfall in autumn.
(2)Autumn has deepened
  I wonder what the man next door
  Does for a living ?
(3)Stricken on a journey,
  My dreams go wandering round
  Withered fields.

 此道や行人なしに秋の暮(1)

 芭蕉のこの句には、孤独な旅人のなんとも言えないような気持ちがにじみ出ています。この道は自分の一生の道であり、俳句において自分が歩んできた道です。ところが、今はこの道を行く人はいない…。
 しかし、その2日後には、またこう詠んでいます。

 秋深き隣は何をする人ぞ(2)

 宿の中で音が聞こえます。その人の顔は分からない。でもその音を聞いて、どういう人だろうかと考える。他人への興味の素朴な表明です。やはり芭蕉は世捨人ではなく社会の中に生きる人でした。そして…

 旅に病で夢は枯野をかけ廻る(3)

 突然の病に倒れた芭蕉の、これが最終吟です。病床でも彼の俳句への思いは未だとどまらないのです。しかし10月12日(陰暦)、南御堂に近い「花屋」の離れで、彼は門人たちに見守られながら亡くなります。
 芭蕉の時代、大坂の俳句は、商人たちの趣味としての教養のひとつでした。そして大坂が天下の台所と言われたこの時代、どこの藩でも米の商いに大坂に行く人はみな「大坂弁」ができたそうです。いわば当時の「国際語」です。多分このおかげで、伊賀上野出身の芭蕉の言葉が、奥の細道でも通じたのでしょう。
 
 時は移ろいます。今の風潮では、建物なども古くなるとすぐに壊し、何も残らない…。だから司馬さんと歩いた御堂筋に、ガスビルのような建物が残されていると聞くのは私にはとてもうれしいことなのです。(談)




ドナルド・キーン(Donald Keene)
コロンビア大学名誉教授。1922年ニューヨーク生まれ。日本文学・日本文化の研究と海外への紹介に対し、勲二等旭日重光章、菊池寛賞、日本文学大賞などを受ける。2002年文化功労者。著書『日本文学の歴史』『百代の過客』『明治天皇』など多数。

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