|
若き日のドナルド・キーン氏
京都で能と狂言を習い
舞台でも演じた。
|
(1955年頃)
|
もうずいぶん昔のことですが、大阪の適塾で司馬遼太郎さんと対談した後に、二人で御堂筋を歩きました。南御堂の前では、芭蕉翁終焉の地の石碑の傍らに立ち、松尾芭蕉がこの地で生涯を閉じたことやその後の時代の移り変わりについて語りました。
私が、長年の夢がかなって日本にやって来たのは、昭和二十八(一九五三)年のことです。京都に二年間留学し、近松門左衛門について博士論文を書きましたが、同じ元禄時代に生きた井原西鶴や松尾芭蕉にも、やはり深い関心をもっていました。
だからその後コロンビア大学で日本文学を講義するようになった際には、私は教材として芭蕉の『奥の細道』を用いました。その理由は、芭蕉は私にとって、時代や文化を超えて共感できる非常に近しい人間であるからです。
|