ガスビルは、岳父の安井武雄が設計し、3年の歳月をかけて昭和8年に完成しました。施工は大林組でした。安井は新しく開通する御堂筋に、「その当時の最高のビル」を建築する事を目標に、世界でも最高レベルの建築資材を調達し、最も現代的で最も機能的なビルをつくるために精魂を傾けました。ガスビルは、安井にとっていわばライフワークだったと思います。
安井の設計したガスビルを建て増しするかたちで新館の設計依頼を受けたのは昭和38年の暮れでした。私はガスビル周辺が将来の大阪の新しい中心地区になるだろうと考えました。自分が一時期を画するという任務の重大さをひしひしと感じたことを鮮やかに憶えています。
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ガスビル全景(1966年) |
〔写真右側〕ガスビル北館(新館) |
昭和41年8月、ガスビル北側に隣接して新ビルが竣工した。オフィスビルとしての機能性を求めた工夫が凝らされ、新しい鉄骨の技術が用いられて、旧館よりも窓が大きくなっている。
設計:佐野正一 施工:(株)大林組 |
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〔写真左側〕ガスビル南館(旧館)
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昭和8年3月、御堂筋・平野町に面してガスビルが竣工した。
設計:安井武雄 施工:(株)大林組 |
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当時ガスビルに関心をお持ちの市民のみなさまからは、「ガスビルが拡張されるなら、ぜひ旧ビルの風格を伝えるものであってほしい」との声がありました。私は、旧ビルの外観上の特徴である庇やタイルの張り方はそのまま踏襲して、ガラス窓の調子、黒い石などの使い方その他を工夫して設計することにしました。新館(現在の北館)は、新しい建築技術で建てましたので、旧館(現在の南館)に比べ窓が大きくなっています。またオフィスビルとしての使いやすさや効率の良さも工夫しました。そして新旧の一体感を出すために必要な旧ビル側の改築なども行って、現在のガスビルが出来上ったのです。昭和41年8月のことです。今も「ガスビル」の愛称でみなさまから親しまれているのは、設計した者としては大変幸せなことと思います。
私は、今もよくガスビル食堂を利用しています。大人数でもゆっくりと落ち着いて会食ができます。安井もガスビル食堂の内装には随分、気を配ったようです。内装デザインはアールデコ様式でした。竣工後もちょくちょく食堂を訪れては、気がついたことをアドバイスしていたと聞きます。今回ガスビル食堂のリニューアルにあたり、保存されていた写真や絵画を元に、昭和8年創業時の面影が再現されたことは嬉しいことです。 日本では、古いレストランは消えて、どんどん新しいものに変わっています。このような時代、ガスビル食堂のように歴史のある店は、永続的な魅力をどのようにして発揮し続けていくのか、また若い人にも本当の意味で理解されるにはどうすれば良いのかを、慎重にかつ真剣に考える必要があります。
私は、大阪が大阪ならではの川を生かした街づくりをすべきであると考えてきました。それには川幅を狭めて川とビルの間に道を作り、人が往来できるようにするのです。そうするとビルの背中も美しく保とうとされるでしょうし、川も生きると思います。大阪が大阪の個性を生かして活性化し、発展することを望んでいます。(談)