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モダンシティー大阪の本格欧風料理店 ガスビル食堂 近代大阪のシンボル御堂筋とともに誕生したガスビル 昭和の初め ガスビルご案内 モダン大阪と西洋料理 人気を呼んだガスビル食堂 バラエティー豊かなガスビルの食の楽しみ 激動の時代とガスビル食堂 新しく綴られるガスビル食堂の物語 OSAKA GAS Building Story

OSAKA GAS Building Story

1933-2003

御堂筋とともに歩むガスビル
近代文化の殿堂ガスビル
ガスビルディテール
戦中・戦後のガスビル
1966年ガスビル北館竣工
御堂筋のランドマークガスビル
2003年ガスビルは登録有形文化財に
ガスビル




御堂筋とともに歩むガスビル
昭和8年(1933)3月、大阪市が大正15年(1926)から工事を進めていた御堂筋のほぼ中央に、「大阪瓦斯ビルヂング」、通称「ガスビル」が誕生しました。これは当時大阪における最も近代的で美しいビルディングと称されました。
ビル内にはガス器具陳列場をはじめ、講演場、美容室、喫茶室、料理講習室、食堂など、一般の方に広くご利用いただけるさまざまな施設がありました。
ガス会社の本社ビルとしてだけでなく、子どもから大人まで幅広い市民に利用され、近代生活を開くガス文化の普及に貢献しました。

完成後の御堂筋
完成後の御堂筋(写真上方、御堂筋の
左側の白い建物がガスビル)
(写真提供:(財)大阪都市協会)




近代文化の殿堂ガスビル
ガスビル2階の講演場は、当時最新の設備を誇る約600名収容のお洒落なホール。デビュー早々の朝比奈隆氏指揮によるコンサート、映画評論家淀川長治氏企画の名画試写会、ガスビル趣味の会ではエンタツ・アチャコの漫才などが行われ、いつも大勢の方々で賑わい、大阪における文化活動のひとつの拠点となっていきました。
一歩ガスビルに足を踏み入れると、各種の催しが開催されており、食事、喫茶、美容にと、ガスが開くモダンでハイカラな都市生活と文化を併せて楽しむことができました。ガスビルは、まさに近代文化の殿堂として広く市民に親しまれました。

ガスビル講演場の舞台に立つ
ガスビル講演場の舞台に立つ
エンタツ・アチャコ(1934年頃)




ガスビルディテール
昭和8年竣工のガスビルを設計したのは、戦前の建築界に一時代を築いた安井武雄氏。大阪では「大阪倶楽部」や「高麗橋野村ビル」などの名作を生み出しました。その後、ガスビルの設計で使用目的と構造に基づいた「自由様式」という独自の作風を確立しました。
■安井武雄氏(1884〜1955)
1910年東京大学卒業。満鉄建築課、片岡建築事務所を経て、1924年安井建築設計事務所を創設。(安井氏肖像他 写真提供:活タ井建築設計事務所)

安井武雄氏
安井武雄氏

ガスビル竣工時のパンフレット
ガスビル竣工時のパンフレット(1933年)
ガスビルは椛蝸ム組の施工により
昭和8年3月17日に竣工しました。
大阪倶楽部
大阪倶楽部(1924年)
高麗橋野村ビル
高麗橋野村ビル(1927年)

主階段主階段(螺旋階段)
ガス器具陳列場内に設けられた主階段。採光中庭より、ガラスブロックを通して柔らかな明るい光が降り注ぎ、ゆったりとした螺旋階段は、1階、2階、地下1階の3フロアのショールームを繋いでいました。
横連窓 横連窓
2階の横連窓は、都市生活に適した実用的でシンプルな直線と円弧を組み合わせたデザインで構成され、サッシは竣工当時まだ珍しかったステンレススチールをドイツから輸入したものです。

コロネード(柱廊)コロネード(柱廊)
1、2階の外壁には、勿来産黒御影石(花崗岩)と稲田産白御影石が張られ、陳列場玄関とデッキガラスのはめ込まれたコロネード(柱廊)は、バリアフリーでビルと歩道を一体化し、気軽に入れる設計になっています。
非常階段 非常階段
2階講演場の非常時の避難経路として、講演場内部より直接屋外に避難できるよう、道路に面してバルコニーと非常階段が設けられ、安全面にも万全の配慮がなされていました。

エレベーターホールエレベーターホール
エレベーターホールの一部(4階〜地下1階)は、壁にイタリア産のトラバーチン(大理石)を張り、床には琉球産トラバーチンが敷かれています。現在も昭和8年(1933)竣工当時の面影を残しています。



戦中・戦後のガスビル
昭和16年(1941)12月、太平洋戦争が勃発し、ガスビルもその影響を大きく受けました。翌17年から18年にかけて、屋上ネオン塔、エレベーター、エスカレーター、手摺り、窓枠等々は、不要不急の設備として金属供出され、また白亜のガスビルの外壁も、昭和19年から24年までは、自社生産のコールタールで真っ黒に迷彩塗装されました。
昭和20年3月の大阪大空襲では、全館に備えていたシャッターを降ろし、7・8階の一部を罹災しただけで難を免れました。
戦後は昭和20年10月から27年5月まで、2階講演場と6階以上の部分等が進駐軍に接収され、宿舎として使用されました。


大阪最初の空襲は昭和20年1月3日。3月13日深夜から14日未明にかけての大阪大襲では、約13万5千戸が焼失・倒壊し、御堂筋一帯は焼け野原になりました。
罹災後の御堂筋と黒く迷彩塗装された
罹災後の御堂筋と黒く迷彩塗装された
ガスビル(写真正面奥の建物、1946年)
(写真提供:(財)大阪国際平和センター)



1966年ガスビル北館竣工
戦後の高度経済成長期を迎え、ガスの需要が増大するにしたがい、大阪ガスは本社事務所拡張のため、昭和39年(1964)8月にガスビルの北館増築に着手し、椛蝸ム組の施工により昭和41年(1966)8月10日に竣工しました。設計は佐野正一氏によるもので、ガスビル南館のもつ風格を生かして一体的な機能を果たすよう考慮されています。
北館と南館の新旧両ビルは見事に一体化し、御堂筋、御霊筋、平野町通り、道修町通りに画され、ガスビル建設当時に理想に掲げていた「ワンブロック・ワンビルディング」の夢が、ここに実を結びました。


新旧のビルが合体したがスビル
新旧のビルが合体したガスビル
窓が大きい方が北館

北館竣工時のパンフレット
北館竣工時のパンフレット(1966年)



御堂筋のランドマークガスビル
誕生以来、御堂筋とともにあったガスビル。瓦屋根の家並みの中に浮かび上がっていた時代から、やがてビルが建ち並ぶビジネス街に周辺が大きく変貌しても、ガスビルは常に御堂筋のランドマークとして多くの人々に愛されてきました。
この伝統を引き継ぎ、平成4年(1992)にはガスビル一階に「都会のオアシス」をコンセプトとした「Pao Park」を設置。また創意に満ちた御堂筋沿いのウインドーディスプレイも道行く人々の目を楽しませてきました。

天使の音楽
ショーウィンドーコンクールで通商産業大臣賞を受賞したディスプレイ
「天使の音楽」(1993年)


Pao Park
ガスビル1階「Pao Park」では、
定期的にイベントを開催



2003年ガスビルは登録有形文化財に
昭和8年(1933)の竣工当時、大阪における最も近代的で美しいビルディングとみなさまから評され、「都市建築の美の極致」とも言われたガスビルは、平成15年(2003)3月、文化財保護法に基づき登録有形文化財に登録され、平成15年3月17日、竣工70周年を迎えました。


登録有形文化財に登録されたガスビル



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