アスリート食

2020/02/02(日)

勝つために食べる!
母の愛情料理

アーティスティックスイミング オリンピックメダリスト
スポーツコメンテーター

奥野 史子さん

 奥野 史子さん アスリート食・DO アスリート食・DO

奥野 史子

アーティスティックスイミング オリンピックメダリスト
スポーツコメンテーター

京都市生まれ。同志社大学大学院修了。バルセロナ五輪シンクロナイズドスイミング(現:アーティスティックスイミング)銅メダリスト。1994年の世界選手権ローマ大会で、それまでのシンクロの常識を覆す女の情念や怒りを表現した笑わないシンクロ「昇華〜夜叉の舞」で、史上初の芸術点オール10点満点を記録し日本人初の銀メダルを獲得。1995年に現役引退し、その後はスポーツコメンテーターとして各種メディアで活動。2000年から2年間シルク・ドゥ・ソレイユで、日本人として初めてラスベガスで最高峰の水中ショー「O(オー)」に出演。京都市教育委員や日本水泳連盟アスリート委員なども務める。

奥野 史子さん
幼少期の練習について

幼少期の練習について

4歳から水泳、小学校1年生からシンクロを始めた奥野さん。京都のスイミングスクール踏水会で、姉2人に続いてシンクロナイズドスイミングを習いはじめた。子どもの頃は、まず基本的な泳力を身につける。そしてスカーリングという水のかき方、浮き方などを時間をかけて叩き込まれる。足を上げて進むバレーレッグで25メートル行けるようになるには、1年以上かかったという。「シンクロってとても華やかなスポーツに見られるんですけれど、練習はめちゃくちゃ地味だし、ものすごくしんどいし、先生は怖いし、毎日のようにやめようと思っていました」。とはいえ、試合に出ると「勝ちたい」「こんな風になりたい」と、モチベーションがあがり、諦めず練習を続けた。

勝つために食べる!

勝つために食べる!

子どもの頃は食が細くお肉も苦手で、掃除の時間になっても、まだ給食を食べているような子どもだった。そんな奥野さんにお母さまがいつも言われていたのが「食事は頭で食べなさい」という言葉だった。
「これはあなたの体の何になるの?お肉を食べたら力になるし、筋肉がつく。穀物・ご飯・パンを食べたらエネルギーになる。そういうことを考えて食べなさい」といつも言われていた。高校生ぐらいになって栄養の勉強をし始めた頃に、ようやくその意味が自分の中でストンと落ちた。合宿でのごはんは残してはいけない、早く食べないと休憩できない、栄養を取らないとどんどんやせ細ってしまう。そんな中、とにかく早くたくさん食べるということが習慣となった。勝つために食べる、勝つためにこの栄養素を絶対に取らないといけない、そう思うようになったら、どんどん食べられるようになり、好き嫌いも基本的になくなった。

シンクロは持久力がとても重要なスポーツ。「3分・4分・5分ぐらいの間、息止めたりしながらずっと泳ぐので、酸素を運ぶヘモグロビンを増やすために鉄分って絶対必要なんですね。鉄のタブレットなども使っていましたけれど、基本的には食事からとるということにしていたので、小松菜やひじきなどはよく食べました」。またおやつとして、鶏レバーを甘辛く煮たものをタッパーに入れ、学校へ持参していた。「あり得ないおやつだけれど、それを食べると調子がよかったんです」。

今では食べ物に何が入っているのかなど、食の安全にも関心が高く、食材の選び方や調味料なども気を遣う。今回のアスリート食は、京都出身の奥野さんが一番ほっとする“おばんざい”の数々を、食材や調味料にこだわって調理したものを試食した。

オリンピックを目指して

オリンピックを目指して

1984年のロサンゼルスオリンピックから、シンクロナイズドスイミングは正式種目となった。
「井村先生がある日、銅メダルを取った選手と京都踏水会に教えに来てくれたんです。オリンピックに出ている人って雲の上の存在だったのに、実際に会ってみたらものすごく優しいお姉さんで・・私もあんな風に格好よく、オリンピックに出られる選手になりたいと思ったのが、小学校5・6年生でした。それに井村先生のアドバイスを受けると、さっきまでできなかったことが魔法みたいにできるようになったんです」。選手の特性をすぐに見抜く井村先生の声かけ一つでずいぶん変わることを実感し、この人についていきたいと幼心に感じた。中学生になると同時に、奥野さんは井村シンクロクラブに移籍した。

笑わないシンクロの誕生

笑わないシンクロの誕生

1992年に念願のバルセロナオリンピックに出場し、見事2つの銅メダルを獲得した。翌年のワールドカップでは、もっと上のメダルを取れると意気込んで挑んだものの結果は4位だった。シンクロ界の先輩たちがメダルを取り続けてきた中で、4位という結果は汚点だと感じ、悔しかった。
今まで人がやったことのないことをやらないと、絶対に4位から上には上がれない。井村先生と一からやり直す覚悟で話しあい生まれたのが、笑わないシンクロ「昇華〜夜叉の舞〜」だった。
「今までシンクロってありものの曲をつなげてその時間に合わせていたんですけど、その時は技のタイミングに合わせて作曲してもらって、その演技のために曲も水着もオリジナルで作って全部オリジナルで、はじめての試みをシンクロで行いました」。今は当たり前のことだが、当時はとても斬新だった。海外では「奥野は負けて、すごい新しいものを作ってきた」という評価を得ることができ、その演技で世界初の芸術点オール10点満点を獲得した。

ショービジネスの素晴らしさを広げたい

ショービジネスの素晴らしさを広げたい

引退後、ラスベガスにシルクドソレイユを見に行った。涙が出るほど感動して「私は向こう側の人に絶対になる」との思いに駆られ、当時出演していた昔のライバルに相談して、ディレクターにビデオを送った。それがきっかけで、モントリオールのトレーニングに呼ばれ、奥野さんは日本人初のシルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマーとして世界最高峰の水中ショー「O(オー)」に出演することとなった。

「シルクドソレイユがすごいなって思うのは、あそこのシステムなんですね。シンクロのメダリストが当時10人ぐらいいました。アスリートは引退後、セカンドキャリアを築くためにいろんな苦労をするんですが、トップアスリートが辞めた瞬間に「私と一緒に次の夢を見ませんか?」ってシルクドソレイユの人が名刺を渡し、次の選択肢として形を作っているんです。さらに表現力を高めるための学校など、しっかりとトレーニングできるシステムを作っているのがすごいですね。」

できればショービジネスの仕事をもう一度やりたいと思っている。「家庭とのバランスもとりながらできる範囲で、ショービジネスというものがもうちょっと日本で広げれたら、後輩たちが何か自分のスキルをいかせる場所を作れたらいいなと思っているので、そういう可能性があればそれを探っていきたいなと思っています」。

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北田 浩さん ヨット

51歳のルーキー

51歳のルーキー

オーシャンセーラー
JORA (Japan Ocean Racers Association) 代表

北田 浩さん

1964年7月28日生まれ 56歳。青森県出身。
The Transat2016英国Plymouth〜米国New York単独大西洋横断レース7位(伝説のSoloレース)、La Route du Rhum 2018 仏国Saint-Malo〜カリブGuadeloupe 単独大西洋横断レース(世界二大Soloレース)、class40によるヨーロッパメジャーレースに全参戦、imoca60にてFastnet Race 2019(ダブルハンドレース) 以上すべて日本人初、その他、Transpacific Yacht Race. 米国L.A.〜Hawaii Class7にてFirst home / 2位、Cannes Regates Royales、沖縄―東海ヨットレース、他多数。
40歳からヨットをはじめ、国内外のオーシャンレースに挑み、50歳から単身フランスに渡り、複数の会社を経営しながら世界最高峰クラスのオーシャンレースに挑戦し続けている。

ヨット

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