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大阪ガスは、「いただきます」で育もう。をスローガンに、食育活動に取り組んでいます。

食育シリーズ

今、そして未来に伝えたい「日本の食文化」

その2  伝統的食事の基本形の魅力

執筆:東京家政学院大学 名誉教授 江原 絢子先生

1.伝統的な食事の基本形はいつから?

伝統的な食事の形とは?と聞かれたら、何を思い浮かべるでしょうか。大学生に尋ねてみると、「一汁三菜」といった答え、「ご飯と味噌汁」という答えや「さしみ」「てんぷら」「すし」など、外国人の「和食」のイメージを持つ人もいます。さらに、教員をしている卒業生が中学生に「一汁三菜」の内容を聞いてみると、3種の野菜などと想像する生徒もいると聞きました。
「和食」が無形文化遺産になったことで、「一汁三菜」という言い方があちらこちらで聞かれるようになりました。当たり前だと思う人がある反面、その内容が十分わからなくなっている人も多くなっていますので、今回は食事の基本形について考えてみることにしたいと思います。

平安時代後期に成立したとされる「病草紙」という絵巻物があります。この中に歯槽膿漏の男が食事をしている途中の絵が描かれています。高く盛った高盛飯と呼ばれるご飯の周りに3種程度の器に何かが入ったものと汁と思われるお椀が置かれています。これをみると、飯を主食として、汁とおかずや漬物が盛られていると推察できます。おかずのことを「おまわり」とも呼んでいました。その後も、「飯・汁・菜・香の物」は、食事の基本形として現代にまで伝承されてきました。

具体的な食事記録でみてみましょう。江戸時代の元大名の一人である真田幸弘の食事記録が残されています。真田幸弘は、信州松代藩の10万石の大名でしたが、食事記録は、隠居して2年目くらいのときの食事で1800年11月のある日の記録です。幸弘は、江戸赤坂の中屋敷に暮らしていましたので、食材は必要とあれば野菜類はもとより、魚介類もたくさん手に入った環境でした。

まず、朝ご飯は、ご飯と豆腐と焼き海苔の入った味噌汁、いり菜と百合根の煮ものに「ふわふわ玉子」と香の物(漬物)です。当時流行した「ふわふわ玉子」は、溶き卵に塩、醤油などで調味しただし汁を加えて加熱した、茶碗蒸しのようなやわらかい卵の料理です。煮物にある平鰹は、削ったかつお節のことです。おそらく煮物の上にふりかけたのでしょう。
昼ご飯は、ご飯に小かぶとえのきだけの汁、煮物としては、氷豆腐にぜんまいを煮てやはり平鰹を上に置いたものです。夕食は、ご飯にうどが入った汁と、麩と茸のあんかけのような料理です。香の物は、どのような食事にもついています。これをみると、朝と昼は、いわゆる一汁二菜で、夕食は一汁一菜です。このようにかなり上流の武士でも、日常食のおかずは豆腐や野菜、芋類を中心としたもので、魚類は、時々昼に焼き魚などが食べられている程度だったといえるでしょう。

しかし、特別な時、正月などの行事食、お客様を接待する時の供応食の場合は、がらりと違った豪華な食事になります。通常、食事の前に儀礼的なお酒と酒のさかな(酒肴)が出されます。その後に出される食事は「本膳料理」と呼ばれる料理の形ですが、基本は、「飯・汁・菜・漬物」です。ただ、汁や菜の数、その食材などが大きく異なることが特徴です。
お膳がいくつか出され、豪華になればなるほどお膳の数と汁、菜の数が増加します。江戸時代から近代にかけて農村部まで広がった本膳料理は、2つくらいのお膳を出すいわゆる二の膳つきの食事が多かったのですが、将軍が家来のところを訪ねるような場合には7つの膳も出されました。

二の膳つきで見てみましょう。幸弘の誕生日にも二の膳つきのご馳走が用意されました。本膳と呼ばれた一の膳には、飯と汁とおかずが2種盛られます。精進の場合を除いて、汁にもおかずにも通常、魚介類か鳥類が入るのがふつうです。これに膳の向こうに魚などの焼物がつきますので、最低は一汁三菜となります。二の膳には、もう一度内容の異なる汁(二の汁)がきて、さらにおかずが2種供されますので、これで二汁五菜と呼びます。つまり、現在一汁三菜と呼んでいるのは、日常食ではなく供応食の最低単位といってもよいでしょう。この食事の途中からまたお酒が出され、次々と魚介類や鳥類を中心とした酒肴も出されます。このように、日常と特別な日の食事とは大きく異なり、特別な食は、魚介類や鳥類が中心になります。

明治以降の食事はどう変化するでしょうか。昭和初期前後の東京の商家の例をみてみましょう。秋の食事です。

朝:白飯 味噌汁(里芋) 納豆 煮豆 佃煮 ぬかみそ漬け
昼:白飯 味噌汁(しじみ) コロッケ・キャベツ(時にはカツ) 漬物
夕:白飯 シチューわん さんまの塩焼 切り干し大根と油揚げの煮物 漬物

昼のコロッケは、それだけでは洋食ととれますが、みごとに日本の伝統食の基本形に組み込まれています。しかも、忙しい商家で昼間からコロッケを手作りすることはしていません。当時、肉屋で揚げ物の惣菜を売っていてそれを活用したのです。このように、和食の基本形は、洋風の料理も組み入れることもできる柔軟さをもっているといえるでしょう。いっぽう大阪の商家の例では、朝は、ぶぶ漬(茶漬)、茄子浅漬け、昼は、ご飯にお番菜(おかず)、お香々、茄子浅漬け、夕飯は、ご飯、肉のぐちゃ炊(今の肉じゃが)、お香々となっていますが、朝に温かいご飯を炊く江戸の町と昼に温かいご飯を炊いた関西の習慣を伝えていますので、翌朝も冷ご飯を食べる必要があったわけです。近代になると、夜温かいご飯を炊く習慣に変わっていくようです。

しかし、いつも飯(米とは限らず麦、雑穀)が主食とは限らない地域もあります。山梨、神奈川、埼玉県などの山間部では、夕飯に煮込みうどんを主食にするところもありました。しかし、朝や昼の食事には、基本形に近い食事をするなど、基本形は、日常食でも特別な食事でも組み立てやすく、季節や食材にも変化をつけやすいこともあって何百年もの長い間継承されてきたといえるでしょう。

主菜に肉か魚を中心にした料理、副菜に野菜類・芋類などを主にした料理、汁には野菜類などを入れた具沢山の味噌汁などにすれば、一汁二菜でも栄養的なバランスをとることが可能でしょうし、少しゆとりがあれば、もう一品増やせば少し豪華になるなど、いろいろな変化を楽しめるはずです。現在の外食でも定食はこの形を持っています。最初は洋食中心だったファミリーレストランでも、現在は、ハンバーグ定食や麻婆豆腐定食、とんかつ定食など和食の基本形に合わせた食事を提供しています。日本人が長く継承してきたこの形に多くの人々は、食事らしさを感じるのかもしれません。

長く続いてきた和食の基本形がとられたことで、いま脂質の摂取が多くなったといわれながら、それでも多くの先進国に比べて脂質の摂取はそれほど多いわけではありません。健康的な食を育むためにもこの基本形を日常食のベースとしながら、時々別の食べ方も楽しむといった生活リズムのある暮らし方をすれば、和食の魅力を感じることが出来るのではないかと思います。

  飯・汁・菜の組み合わせ例

飯・汁・菜の組み合わせ例
(東京家政学院大学生活博物館展示より)



江原 絢子(えはら あやこ)名誉教授 プロフィール

江原 絢子(えはら あやこ)名誉教授

島根県出身。1966年お茶の水女子大学家政学部食物学科卒業。博士(教育学)
東京家政学院大学教授を経て現在、同大学名誉教授・客員教授。専門は、食文化史・食教育史・調理学。「「和食」文化の保護・継承国民会議」(「和食会議」)副会長
主な著書:『和食と食育』(編著 アイ・ケイコーポレーション2014)、『家庭料理の近代』(単著 吉川弘文館2012)、『近代料理書集成−日本の食文化史』全13巻(編・解説 クレス出版2012・13)、『おいしい江戸ごはん』(共著 コモンズ2011)、『日本の食文化史年表』(共編 吉川弘文館2011)、『日本食物史』(共著 吉川弘文館2009)など


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