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食育シリーズ

SHOJIN 「世界に誇る日本の根本料理 天の恵みをいただく」 続編

エッセイ その1  精進料理はベジタリアンフードか?

私は、ベジタリアンではありません。ですから、お肉やお魚が出されれば、出来るだけ綺麗に頂くように致しております。せっかく手間暇かけられたお食事を、敢えて自分の主義主張で手もつけずに、葬るのはいかがなものでしょうか。それが、世界は広く、宗教上の理由で、長年に渡って特に肉を敬遠する人たちがいます。敬虔な信者たちは、教えを固く守っています。民主化が進み、経済的成長で生活が豊かになると、信心は残念ながら希薄になるのが世の常のようです。と同時に、いろいろな宗教的制約から解放されると、美味しいお肉に逸る気持ちが押さえられなくなるのも、人の有り様で、本能的快楽を求めるのです。肉は麻薬のように世界的に多くのファンを掴み、今も生産、消費を伸ばしています。皆さんのめんどくさい毎日の献立も、先ずは肉、魚から考えます。お子さんがいるお家では、ハンバーグのように、肉料理は定番になります。私も小さい頃母の作った、少し不恰好ながら、美味しいハンバーグは今も覚えています。ちぎったパンが入っていたのが特徴的です。恐らく当時はまだお肉は高嶺の花でもあり、パンで水増ししながらも、柔らかく独特の風味に喜んだものです。ですから、私は今も決してベジタリアンではありません。心を込めて、作っていただいたお料理は肉があってもありがたくいただきます。

しかし、精進料理を覚えてからは、野菜や穀物、海藻、果物以外は、基本的に調理しません。 精進料理は料理すること自体が、修行です。野菜だけという不自由な中に、肉、魚を忘れさせるほど、美しく、美味しい満足感たっぷりのワクワクする料理、つまり『自由』を見出すことが 真骨頂です。修行と聞くと、非日常で、ストイックなイメージでしょうが、言葉を変えれば、心穏やかに、ひたすら野菜と向き合う、野菜の声を聴くことです。そんな簡単に聴けないよ!そうです。座禅やお経のように、訳もわからないことを毎日毎日、バカになってやり続けるのです。それが料理であり、これで終わりはなく、身や感覚にたたき込むのです。するといつの日か、料理が面倒なものから、喜びに変わります。

それを最も、優しくそして、心身に心地よく教えてくれるのが野菜です。野菜は、天の恵み。空気と水と日の光で植物によって作られ、提供されます。我々人類は、飛躍的に進化をしたと云われます。ところがどうでしょう。我々は、トマトひとつ作ることができないのです。脳みそもコンピューターもない、あの華奢な体から、どうやって、美しく、美味しく、栄養満点の賜物ができるのでしょう。まさに、これこそ奇跡です。人類にできない魔力や現象を奇跡と呼びます。

神、仏を奇跡といって、信仰の対象になります。しかし、それを目の当たりにした人はそうはいません。ところが、植物たちはほぼ毎日のように、この奇跡の連続を行い、我々を生かし続けます。植物が無ければ、我々は、ほぼ即死です。こんな簡単な理(ことわり)が理解できず、あるいは無視して、生きているとすれば、もはや、神も仏もありません。何を信じれば良いのでしょう。目に見える目の前の偶像をいくら拝んで、ほとんど無駄に終わるだけです。台所で野菜を目の前に置いて、今一度よーく向き合ってください。まだ聞こえてきませんか。神、仏の声が。ここに真の救世主、慈悲が満ち溢れています。もう、肉や魚の存在すら忘れてしまいます。この神聖な神々は、血生臭いものとは一緒にできません。そして、我が体に入って、身も心も清めてくれます。野菜を主にした毎日の食事こそ体が喜ぶ食です。

長くこの清らかな風土に培われた日本食は、そもそも米と野菜と少しの海産物から成り立ちます。代々食べ続け、すでに我々のDNAには、この食がインプットされています。DNAがこの食を求めています。時代が変わっても、変わらないものがあります。無理に変えれば、細胞が反発します。そして、癌化して猛威を奮います。我々はこの60兆個の細胞の監督責任者です。ひとつひとつの細胞の声を聴くのも、大切な務めです。細胞が喜ぶ食、ライフスタイルを意識しなければなりません。病気のそのほとんどが、自らの意識の希薄さによって、もたらされます。具体的には、偏った食や不規則な生活であり、ストレスもそうでしょう。我々の意識の教育をしっかりしなければなりません。そしてそれは、頭でなく、体に心に叩き込ませなければなりません。頭は残念ながら、大変勝手です。すぐ忘れたり、都合の良い解釈をして、聴くことを怠り、聞こえても無視します。

体に心に浸透した智慧こそ、精進の究極のテーマです。手間暇惜しまず、野菜に、細胞に感謝しながら 生きていけたら、必ずや幸せになると思います。今一度、もの言わぬもの達の声に耳を傾けることから始めて見ましょう。そのうちに、トマトがあなただけに話しかけてきますよ。内緒でね。そして、トマトに涙した時、悟りの境地へ導かれます。そうなれば、自然と料理も楽しくなり、機械に頼らず、手間暇かけて作ることが苦にならなくなります。いろいろなメニューやレシピーが次々思い浮かび、嬉しいばかりです。

今では、調理された肉の匂いや魚のお出汁も、鼻につくようになりました。若い頃はあんなに口にして、あの匂いに、お腹を鳴らし、よだれが出たものですが。自分でも不思議で仕方ありません。野菜がそうさせているとしか思えません。

食べ物の嗜好は、個々人で違い、それぞれ楽しめると思いますが、野菜を真ん中に置けば置くほど、自然と肉魚が遠のきます。栄養が足りてるのか、肉を食べなくても力が出るのか、若い時の成長に影響が出ないのか、、、皆さん大変心配します。ところがよく考えてください。牛や馬は草だけであんなにたくましく、人力よりパワフルで、我々の大きな手助けになりました。いやいや、牛馬と一緒にされたらたまらない。それでしたら、戦前の食生活をお調べください。ほぼ毎日精進です。魚は近海では常食しても、ほとんどが小魚が主で、肉に限っては、冠婚葬祭、つまりハレの日にやっといただけるくらいです。それも、大正昭和に入ってです。ご馳走をいただくのは、年に限られた日だけでした。他の日は、穀物と野菜を工夫して食べ続けました。けれども、当時の体力や抵抗力は、現代人よりはるかに勝っていました。今から思えばあんな食事でよく持つなと感心するばかりです。ところが、彼らは、戦時下も、たくましく生き延びたのです。

それに比べて現代はどうでしょう。寿命こそ伸びていますが、実はこれも怪しいもので、病院や薬の世話にならなければ生き延びられない人たちが、この世界一の寿命を維持しています。年間40兆円の医療費が支払われ、この寿命が保たれています。果たしてこれが本当に健康的な寿命でしょうか。数字ばかりを追っかけて、中身は見ていない。いわゆる、病気になっていない人たちだけで換算した健康寿命を見ると、今の世界一の寿命からおよそ男女ともに10年少なくなります。70歳前後になるのです。薬で生かされ、薬なくては過ごせない社会になりました。まともな食事も取れずに、薬漬けの人達がたくさんいます。自分の口で舌で、食べれなくなったら寂しいです。健康とは自分の口で食べ、自分の足で立ち歩くこと。いつまでも健康で長生きしたい、誰もの願いです。

そうなるためには、まず日々の食事だと思います。体が喜ぶ清らかな食事は、病気を寄せつけません。食とは単なる栄養摂取ではなく、氣をいただくことです。元氣、やる氣、活気、根気、勇気、陽気、、を養う食。食が乱れると、短気、陰気、病気、狂気、、、になります。この積み重ねが、人を大きく分けます。清らかな食事で、いつまでも、元気で明るい生活ができれば本望です。清らかな食は、お肌にも効果的です。嬉しいことに、よく年齢より若く見え、肌が綺麗と褒められます。肌にクリームも洗顔もまともにしません。それなのに何故?野菜とお米の力としか思えません。お金をかけずに、体の中から綺麗になることが、急がば回れです。以前胃の調子が悪く、親しい専門医に、胃カメラで診断していただいたことがあります。何か出来ているのでは?と心配そうに尋ねると、先生は真顔で「長年診ていますが、こんなにきれいな胃を見たことありません」と言われ、胃の痛みも忘れたほどです。野菜のお陰としみじみ感謝して帰路に着いた覚えがあります。清らかな食事で、医者いらず、化粧品いらず、健康食品いらず、、、、無駄な出費を、たまのご馳走に当てた方が、かなり幸せだと思いますが、如何でしょうか。

田菜箸 トシオ(棚橋 俊夫)


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